元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

朝から涙を流したけれど持ち直した昨日のこと

朝、いつもより早く目が覚めた。なにか不愉快な夢を見た記憶がある。その時は覚えていたが今はもう忘れた。その夢のせいか、なんとなく悲しい気分を引きずったまま、朝食の準備を始めた。味噌汁を作り終えて、今日は調子が悪いし弁当作りは休みにしようと決めて椅子に座ると、わけもなく…というか…わけがありすぎて涙が流れてしまった。

 

来春、息子が転学するので年内に引越先を探す必要がある、舅が入院して来月は手術、一人になった姑の様子に気をつけないと、コールセンター以外の収入源も見つけなくちゃお金が足りない、といった具合で、タスクが多すぎていっぱいいっぱいになったのだろう。

 

「え? どうした?」と驚く夫には「ここ数日、忙しく働いてて、昨日でそれが終わってほっとしたのかも」と答え、つとめて普通に雑談をしていたら涙は止まった。

 

そのあとは、中学で絵本を読み、妹と病院へ行く時間を打ち合わせ、洗濯などして昼食をとり、その後、姑を車に乗せて病院へ。帰ってきてからは録画していた海外ミステリを見ながら洗濯物を片付けたり細々した用事を済ませていたら夕方になった。夕食を作って姑のところへ持っていき、夜はまた家事。いつもより少し早い10時過ぎに寝た。

 

今、一番の心配事は息子のことだ。調子を崩し留年しながらも執念で進んだ希望学部に見切りをつけて、全く関連もない文系学部へ転学することを決めた。「集中力が続かなくて無理だと思った」と言ってたけれど、どれだけ無念だったろう。そして、そういう状態になってしまった一因は、私にもあると思うと泣けてしまう。

 

あと数年で夫は定年だ。それ以降は金銭的援助は難しいと伝えている。「自分の道を好きなように生きていってほしい」と願い、できる限りのことはしてきたつもりだが、「できる限りのこと」がどんどんなくなっていく。役に立ちそうなアドバイスをする力も私にはない。なんとか自分で生き抜くだけの力をつけてくれれば。そう願うだけだ。

 

週末は、コールセンターの仕事が急募されたので、それに応じて出勤した。家から離れて暮らしている息子や娘に、私ができることはお金を稼ぐことくらいなので、一生懸命働くしかない。その仕事も来月の初旬までは休みだ。その間は無収入。ぼんやりしていると、自分が生きている意味がわからなくなってしまう。まあ生きていることに意味なんてないんだけど。

 

自己憐憫には何の意味もない。良いことは一つもない。目の前のタスクを少しずつ片付けながら、ほんの少し遠くを見て、なにか希望を探すことだ。それはほんの些細なことでいい。今日の料理が美味しくできたことでも良いし、入院している舅が案外と元気で過ごしていることでも、何でも良い。夜、帰宅した夫と、なんでもない会話をかわしながら気持ちをなだめていく。そして眠る。おやすみなさい。こうやってまた一日が終わっていく。

 

まさ夢いちじく (The Best 村上春樹の翻訳絵本集)
 

中学ではこの本を読んできました。話自体はシュールで好き。中学生なら大丈夫だと思うけど、幼いとおちがわかりづらいかも。村上春樹の訳が登場人物の名前を「犬/マルセル」「歯医者/ビボッド」と使い分けているのも分かりづらさの原因のような気がします。

 

読後、読書教育担当?の先生から、今後改善していきたい点の話がありました。隅のほうの子に絵本が見えにくいので机をさげて座るなり机を少し寄せるなりした方がいいと思うので次回から考えますとのことでした。それ自体は良いとして「できるだけ効果があがるように考えたい」と言われてとまどってしまいました。忙しい中学生にとって朝の10分は貴重な自由時間です。その時間を奪って絵本を読んでいることに罪悪感すらあります。学校の要望で続けているけれど。そのうえ「教育的効果」とか言われると(ぼんやりする時間、何の成果も求められない時間も大切にしてあげてほしい)と思ってしまいました。