元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

幼い私にとって父の郷里は別世界だった

私は祖父母にとって初孫だったので猫可愛がりされていた。まだヨチヨチ歩きの頃からあちこちに連れて行ってもらった。私は北九州市の新興住宅地で育ったが、父の郷里は県南部の田舎だ。毎年、祖母は盆参りのため郷里へ行っていたが、私を伴うことも多かった。

 

幼い私にとっては大旅行だ。まずは自宅から黒崎まで電車に乗る。黒崎から博多までは汽車だ。(実際は電車だが古い北九州民は筑豊電鉄西鉄を電車、国鉄は汽車と呼んでいた)窓の外を見ていると工場やビルが過ぎていき、そのうち住宅地、そして遠賀川が見えてくる。河川敷に放牧されている牛を見るのが楽しみだった。そこを過ぎるとあとは山と田んぼと畑が続く。結婚後、夫に「北九州と福岡の間には牛しかいないと思っていた」といったら「失礼すぎる」と顰蹙をかったが、まだ小さな子供だったので大目に見て欲しい。単調な風景に飽きて眠ってしまい「もう博多に着くよ」と起こされるのが常だった。

 

その次の記憶は、西鉄福岡駅だ。博多からどうやって天神に出ていたのか記憶にない。父の郷里まで国鉄も通っていたはずだが、なぜ乗り換えていたのだろう。西鉄福岡駅は、線路が建物の中まで引き込まれているのが珍しかった。カマボコ屋根というのか曲線になった天井が外国みたいで好きだった。たしか岩田屋デパートに直結していたと思う。このあとは延々と電車。ここまで来ると私は疲れ果てて道中ほとんど眠っていたので、この間の記憶は残っていない。最寄駅に着いてタクシーに乗り「ミヤンマエまでお願いします」と祖母が告げると、お宮の前にある酒屋、祖母の実家に着く。(おうちの名前をいうだけで着くなんてすごい)と思っていたし、大きくなっても「ミヤンマエ」は祖母方の家号か通称だと思い込んでいたが、今考えると「宮の前」という地名だったのかもしれない。

 

ミヤンマエには私より二つ三つ大きな女の子がいて、大人たちに引き合わされたあとは二人取り残された。「上にあがってみる?」と言うのでうなずくと、急な階段に案内され、のぼると天井の低い畳敷きの部屋があった。子供の背丈でもぎりぎり立てるくらいの高さで(ここは何のための部屋なのだろう?)と不思議だった。窓から外を覗いたり、他愛ない話をしたりしたが、すぐに飽きてしまい、お宮に向かった。頭が痛くなるような声でセミが鳴いていて、何もしないのに木からぼとぼと落ちてきた。男の子たちが何人か「お前、どっから来たとか」とわいわい言うので立ちすくんでいると、親戚の女の子が仁王立ちになって「この子は北九州から来たとよ! あたしの親戚やけん、なんかしたらしょうちせんよ」と言ってくれた。

 

そうこうするうちに祖母の盆参りが終わり、そこからは親戚中を引き回された。近くに何人も親戚が住んでいるのが不思議だったし、それぞれの家の作りや大きさが全然違うのもおもしろかった。私が住んでいたのは一区画が70〜100坪程度に区分けされた碁盤の目のような団地で、どの家も似たような感じだったから。

 

いつも祖母の妹の家に泊めてもらっていたが、ここが昨日書いたコンクリート造の大きな家だ。小さな女の子を喜ばせようと、男の子二人がバドミントンをしたり本を見せたりしてくれても、引っ込み思案な私はなかなかうちとけることができなかった。家の周りには水路が引かれていて、小さなカニや魚がいるのが見えた。網とバケツを貸してもらって魚やタニシをすくっては戻した。水路のそばにネムノキがあって花がきれいだったのを覚えている。

 

珍しい経験をさせてやろうという思いだろうか、共同風呂に連れていかれたこともある。コンクリートでできたお風呂で、隅っこに生えた苔が電灯の光できらきらして見えた。帰り道「ほら、星が綺麗かろうが。北九州ではこげん星は見えんやろう」と言われて見上げると、本当に降るような星空でびっくりした。あまりに強い印象を受けたからか、この夜のことはその後何度も夢にみた。

 

久留米絣の工場に連れて行ってもらったこともある。行ってみると大きなプレハブ小屋で、私がイメージする「工場」とは違うと思った。暑いからかうるさいからか、戸や窓が開け放たれて外の風が入ってくる中、機械がカタンカタンと大きな音を立てていた。目の前すぐをピンと張られた糸がするすると動いていくので、触ってみたくてうずうずした。

 

履きなれないワンストラップのよそいき靴のせいで靴擦れができた時には、大きな商店街で新しい靴を買ってもらった。あれは久留米だったのか大牟田だったのか。黒崎や小倉とはまた違った雰囲気の大きな繁華街。道路沿い一直線に、どこまでも店が並んでいた。日が暮れていく中、遠くまで続く街灯がきれいだった。

 

昨日「田舎では文化や教育に触れる機会が少ないのは事実」と書いたけれど、どこにいっても、そこ独自の文化はあるのだ。美術館や映画館の有無が文化の有無っていうわけではない。いや、あれは、そういう文脈の話ではないのだけど。父の郷里は私にとって別世界だった。当時はどちらかというと迷惑だった祖母との同行だが、あの小旅行は私にとって得難い経験だったと今は思う。

 

 

廃市/飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)

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父の郷里からは少し離れていますが、筑後地方にある都市(たぶん)柳川を舞台にした作品です。福永武彦の原作が大林宣彦によって映画化されています。美人のお姉さん役に根岸季衣、その夫で妻の妹にも思いを寄せられる旧家の主人に峰岸徹という配役には、若干う〜ん......という気持ちになるのですが、古い歴史を持ちながら滅びゆく街という雰囲気はなかなか良くて好きです。しかしパッケージが怖すぎる。