元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

自分の環境は一般的ではないのか

(一度下書きに戻した後に一部修正してアップしました。2018.4.26)

gendai.ismedia.jp

上記記事を否定するつもりは全然ない。地方に住み、東京の大学に行っている子供へ仕送りをする身としては共感するところが多々ある。田舎のそれほど豊かではない家庭で育ったことは、息子にとってハンディになっているだろうと悲しく思うことも多い。でも、ちょっと田舎の様子を誇張しすぎでは。自分の主張を強めるためにそういうことをやるのは逆効果で、個人が体験した事実そのままを淡々と書いてくれたほうが良いのにと思った。いや、事実ですよ、と言うのだったら、ごめんなさい。謝ります。

 

ネット上の記事を読んでいると「自分の立ち位置」というか「属性」がはっきりしている話が多くてとまどってしまう。例えば、上記の記事だと「貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない」田舎で育ったというのが筆者の立ち位置。私自身、たぶん同じ程度に田舎な地域に住んでいる。けれど教育や文化に触れることができない人もいれば、そうではない人もいて、自分はどちらの人とも接する立場にいる。自分の立ち位置がよくわからない。そういえば、今までずっと、自分が常に周辺というか境界にいて、どこにも属せていないような気持ちで生きてきた。

 

私の親戚には、田舎の公立校や地方の中高一貫校から東大に行った人、大都市在住で東大へ行った人の双方がいるし、中卒、高卒の人もいる。職業も様々だ。経済力も様々。経済力が学歴に比例しているかというとそうでもない。また田舎の文化的資本が乏しいかといえば一概にそうともいえない。もちろん全体としてみればそうだろう。しかし、都会の貧乏人より田舎の金持ちのほうが文化的資本が豊かなこともある。身も蓋もないことをいえば、昔からの資産家はどこに住んでいようがハンディがないのでは。そういえば、大王製紙の御曹司が飛行機で東京の塾に通ったという話があったっけ。

 

「資産家」というほどではないが、例えば田舎の公立校(といっても県内有数の進学校だが)を出て東大に入った親戚の男性二人。家は専業農家だ。周囲は一面田んぼで、おじさんが「北海道に行かなくても地平線が見える」と自慢げに言っていた。住んでいるのはコンクリート造のモダンで大きな家。家の屋上で一緒にバドミントンをして遊んだのを覚えている。部屋には私が見たこともない本や玩具、教材がずらっと並んでいた。「子供の科学」を初めて読んだのはこの時だ。兄は東大卒業後に航空関係の仕事についた。弟は「俺は九大でいいや」といっていたが院は東大に進み、その後NASAに行ったと聞いた。

 

一方、中卒で炭鉱夫として働き、稼いだ金で電器店を開いた親戚もいた。その後、事業を拡張して不動産業など手広くやっていた。法事で家にくる度に「**ちゃん(=父)は神童と言われてて、すごいと思っていたが、今は俺も負けてないだろう?」というおじさんで、自慢話しかしないが開けっぴろげで憎めない人だった。

 

私の三親等以内の親戚の職業を挙げると、映像制作会社勤務、農家、新聞記者、会計事務所勤務、デザイナー、公務員、メーカーの技術者、タクシー運転手、銀行員、板前、などなど。従兄弟姉妹まで広げると、もっと多様になる。この多様性は、母方の祖父母が「結婚は本人どうしが決めるもの」という考えだったこと、私が生まれ育った場所と時代によると思う。全国から労働者が集まる街で育ったから。戦争で階層がなくなった(ように見えた)時代、いろいろな境遇の人が出会い親しくなれる時代に私が生きてきたから。

 

「親戚」に限って書いてきたが、学校、会社、近所での知り合いや友人など「私の周囲の人」に範囲を広げると、その生き方は本当に千差万別だ。自分の生きている世界のすぐそばには全く知らない世界が広がっていて、ふとした拍子にそのことに気がつく。それは普通のことだと思っていたが、実は一般的ではないのだろうか。私の環境は一般的ではない?

 

これからの時代はどうなっていくんだろう。「属性」がはっきりした話にとまどう私だが、それは階層の分断が進んでいる証拠なのだろうか。そうならないことを祈っている。今よりも、多くの人が多様な選択肢を持てる時代になって欲しいと願う。

 

リカちゃん ドリームハウス エレベーターのある あこがれのおうち

リカちゃん ドリームハウス エレベーターのある あこがれのおうち

 
リカちゃん リカちゃんハウス ドレスルーム

リカちゃん リカちゃんハウス ドレスルーム

 

 

地平線の見える田園地帯は、父の郷里です。祖母に連れられて夏休みなどによく遊びに行きました。同じ年頃の女の子がリカちゃん人形がぎゅうぎゅうに詰め込まれたリカちゃんハウスを両手に一つずつ持って「遊ぼう!」って現れたことがあったっけ。幼い私は「すごいお金持ちのお嬢様だ〜」と思いました。