元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

筑後(ちっご)さんのこと

訪問介護のことでコメントをいただいて思い出しました。

 

利用者さんの一人に遠く東日本から九州に嫁いで来た方がいて、冬になると大人が田んぼに水を撒いてスケートリンクのようにしてくれて子供達がすべって遊んだ話など、寒い地方の話をよく聞かせてもらいました。九州に来てからは結婚相手の実家が農家だったので手伝いが大変だったと繰り返し話されました。「田植えの時は、”ちっごさん”っていう手伝いの人を雇ってたのよ。何日も泊まりでねえ。夕食からお風呂からお酒まで......お世話が大変だった〜。」「人を雇うなんて大きな農家だったんですね。”ちっごさん”って筑後の人ですか?」「さあ、どうだろう。たぶんそうじゃないかねえ。自分とこの田植えが終わったあとは、ずっと移動しながら人んちの田植えを請け負うんよ」

 

筑後平野のほうがこっちより田植えが早いの? そんなに差があるのかなと思いつつ、移動養蜂の人みたいに少しずつ北上しながら田植えを請け負う生活を想像しました。そして、週末、隣の父母と食事をとっていた時に「お母さん、”ちっごさん”って知ってます?」と母に聞くと「ああ、大島の人やろ。一時期、田植えの時期に雇ってたよ。」「大島? 筑後じゃなくて?」「最初は筑後のほうから来たんかねえ。それを教えて貰った大島の人が出稼ぎに来よったんよ」「教える??」

 

母の実家は、世界遺産「神宿る島」で有名になった宗像市の海岸近くです。母の話によると、昔、母の実家近くの田植えでは大きな木枠のようなものを使っていたそうです。何人も一列に並んで木枠を動かしながら苗を植えていってたとか。ところが、筑後地方では、そのような道具は使わず紐を張って植えていく手法を使っていたようです。その手法を宗像市大島の人が筑後の人から教えて貰ったんだろうということです。母の実家は大島の人を雇ってその手法を習ったそうで「習ったあとは自分達だけでやってた」と言っていました。

 

お年寄りと話していると、おもしろい話が聞けて興味深いです。その中でも「筑後さん」の話は印象に残っています。移動養蜂のような田植え請負集団って本当にいたのかな。単に技術を教えにきた人がいただけで実際の請負は大島の人達だったのかな。よく分からないままです。

 

はるかな島のものがたり

はるかな島のものがたり

 

 

 宗像三女神の伝説を描いた絵本です。夫の母の実家は、この宗像の海近くにあります。農家ですが昔は人を雇って海岸で塩を作ったりもしていたそうです。海に「あみ」(小さなエビ?)が湧いて総出で掬った話なども聞きました。子供達が小さい頃、海遊びに寄ったことがありますが、本当に海のすぐ近くでした。小高い丘に先祖のお墓があって「気持ちよさそうだなあ」と思いました。