元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

「"障害者" という言葉は単なる行政用語だ」と言った父のこととか色々つれづれに。

いまから30年も前のこと。夕食後、父母と台所で雑談をしていたら、たまたま障害者や障害の話になった。父が「 ”障害者” や ”健常者” って言葉は単なる行政用語。なんらかの措置をする際に対象を明確化するためのレッテルにすぎない」という趣旨のことを言った。ここまでは良かったが、続けて「でもまあ、正直、障害者って気持ち悪いよなあ」ときた。

 

「ふ〜ん。気持ち悪いねえ。そういや、私、腕とお腹にやけどのケロイドあるよね? 小学校の頃に運動会のフォークダンスで腕組むの気持ち悪いって言われたことがあったよ。何を気持ち悪いと感じるかは、その人の主観だし、障害者とか健常者とか関係ないんじゃないの」と言うと、母は涙目になるし、父は一気に酔いが醒めた顔して黙りこくるし......気まずくなって「もう寝る。おやすみ」と退席した。

 

私は2歳の頃に大やけどをして、その痕がかなりひどく残っている。でも実のところ、あまり気にしていなかった。気持ち悪いと言われたのは事実だが、人の傷痕に触れるのが嫌なのは自然な気持ちだし、まあそういう人もいるよねくらいの気持ちだった。父母のリアクションの大きさにちょっとびっくりしてしまった。(この一文、嘘です。父をやりこめようと思って言いました。)

 

この傷のせいなのか、小学校低学年の頃「緘黙児」と言われたように「ちょっと変わった子」だったせいなのか、私には「自分は『健常者』であって『障害者』ではない」という感覚がないし、自分を「健常者」だと思っている人の自信というか思い込み、想像力の欠如が不思議だ。人は皆どこか欠損や歪みがあるもので、場合によってそれは社会的に障害になる、それだけのこととしか思えない。

 

父自身はアルコール依存症気味だったし、知的には問題なかったが情緒的には五歳児のような人だった。「障害者は気持ち悪い」発言の時も「暴言を吐く俺かっこいい」と思っている節があった。人付き合いが下手で、そのせいもあってか仕事に行けなくなった時期もある。自分の特性故に社会に適合しづらかったわけで、そういう意味では「障害がある」状況といえる。父に「あなたは障害者です」と言ったらどういう反応だっただろう。

 

そういえば、「多分、発達障害でしょう」と言われた息子は、色々な検査の結果、正常の範囲だったそうだ。それでも急に支援が切られるわけではないようでほっとしている。ちなみに彼は動作性IQと言語性IQの差が40くらいある。低い方のIQも平均以上だが。

 

数に取り憑かれた少年だった息子を、得意なことは大切にしつつ、基本的な生活習慣を身につけることを第一に育ててきたつもりだ。それでも得意なことは親が思う以上に伸び、不得意なことはなかなかできるようにならなかった。料理や掃除の習慣など、QOLを左右する力をもっとつけてやりたかったが、そういう想いは私の思い上がりなのかもしれない。彼が自分の適性を生かし、人生を愉しんでいけることを願っているし、何か手助けができるなら何でもしてやりたい。そう思っていることをわかって欲しいが伝える術が分からない。とりあえずは私自身が健康に気をつけて、しっかり働いて稼ぐのが一番なのかな。

 

 

鉄塔武蔵野線

鉄塔武蔵野線

 

  息子が幼い頃、高圧線にはまった時期があります。山のずっと向こうまで延びている高圧線を指差して「高圧線! 高圧線!!」と何度も私に教えてくれたっけ。電車に乗っても窓にへばりついて、ずっと遠くの高圧線を凝視してました。一度くらい一緒に探検しに行けば良かったなあ。