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元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

施餓鬼供養というものに行ってきました

例年、夏は大の苦手でバテ気味なのですが、今年はけっこう元気です。娘が夏休みに入ったのでウィークデーも自宅で過ごしています。毎日、朝夕は庭に水撒きするのが日課です。朝顔が葉ばかり大きくなって全然花が咲かないので(なんで?)と思って調べたらどうやら肥料が多すぎたようです。先端を切ったら脇芽が出てきて花がつくと書いてあったのでやってみたら、ちらほら咲き始めました。

 

一人暮らしになった母には週に一度は電話して二週に一度は顔を見に行くように心がけています。でも、友人知人の多い母は気ままな暮らしを満喫しているようで、電話しても出先だったり、訪ねていこうとしても予定が入っていたり。まあ元気なのはなによりです。

 

ある日、電話をかけたら「今日はお施餓鬼なので寺に行く」というので車を出して一緒にでかけました。何人ものお坊さんが本堂で銅鑼、鉦、太鼓などの鳴り物入りでお経を唱え、絵の描かれた紙(生花の代用らしいです)を撒きながら練り歩くのを、時折合掌しながら見物(ってのは不謹慎か)しました。しばらくは物珍しくおもしろかったものの、結局、同じことの繰り返しで、とにかく長いし暑いので辟易しました。式次第的なものが紙に書いて貼ってあって初施餓鬼とか特別施餓鬼とか施餓鬼の前にいろいろ書いてありました。どう違うのか母に聞きましたが、初施餓鬼は初盆の人、特別施餓鬼は1万以上包んだ人、それ以外はよくわからないと言っていました。「これ、途中で帰ったらだめなん?」と母に聞くと「自分の番がきて焼香しないと塔婆がもらえんからだめ」といわれました。順番になると名前を呼ばれて焼香をし経木で作った塔婆をもらって帰って自宅の仏壇に備えるという仕組みらしいです。どうやら高くお金を払った順番になっていて、値段の差によって塔婆にも違いがあるみたいでした。

 

私の隣に座っていたおじいさんは信心深い方なのか、焼香が終わったあとも席に戻ってこられましたが、お坊さんから「終わったら帰ってもいいですよ」と言われて苦笑しながら帰られました。我が家は最低金額の3000円しか包んでないので1時間以上経ってようやく名前を呼ばれて帰ることができました。

 

行く前に姑に「今日は実家の母とお施餓鬼に行ってきます」というと「お寺で食事をよばれてくるのね」と言われ(へえ、そんなものなのか)と思っていましたが、そういうのはありませんでした。代わりにバタークリームとみかんの缶詰が挟まれた今時見かけない昭和な感じのパンをお土産にもらって帰りました。母が「ほんと、これ美味しくないんよね。こんなのいらんのに。食べるけど」と文句を言ってました。

 

母は、全然信心深い人ではありません。けれど「おばあちゃん(母にとっての姑)がお寺さんとの関係を大事にしてたから。私の代までは続ける」と言ってます。たいした金額を包まないとはいえ、月命日、彼岸、施餓鬼、お盆とけっこう行事は多いので、めんどうだし、たぶん私達の代ではここまでしないと思います。私から見ると、実家の菩提寺は商売っ気があからさまで興ざめすることも多いです。母の実家の菩提寺に移したらいいのにと思うけど、そういう手続きは面倒だし不愉快な目に合う予感もするし、なにかきっかけがないと難しそうです。

 

施餓鬼供養に行ってみての感想は、これって檀家からお寺へのボーナスみたいなもんだなあというものです。特にお説教とかなかったし、檀家同士の交流とかもなかったし。施餓鬼ってお寺によって千差万別なんでしょうが。

 

さんまいのおふだ (こどものとも傑作集)

さんまいのおふだ (こどものとも傑作集)

 

 たぶん、弟が小さい頃に買った絵本です。文章が方言で、便所にいった小僧さんが「まあだまだ、ぴーぴーのさかり」とかいうところがおもしろくて好きでした。