元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

「ダルちゃん」(はるな檸檬)*読書日記9

連載が始まった時に話題になってて(おもしろそうだし読んでみようか)と思ったまま、その時に公開されていた数話を読んだきり。忘れていたら、こちらで紹介されていたので思い出しました。

 

fuyu.hatenablog.com

それで全話いっぺんに読んだのですが。45話に出てくる「「普通の人なんて この世に一人もいないんだよ ただの一人も いないんだよ 存在しないまぼろしを 幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ」って言葉に、心から共感。

 

このブログでも何度か書いているとおり、私は特に障害者として認定されてはいないけれど、生きていくのは大変だなあと思いながらここまでやってきました。若い頃は「普通の人」はいいよな〜と思ったこともありました。でも、この年になってみると「普通の人」なんていないことがよくわかる。長年の経験から。実感として。はてなのブログやコメントを読んでいると「普通の人」に過剰に憧れたり、反感や嫉妬を持ってるのかなと思う人がけっこういて、そういう人をみるともどかしい気持ちになる。いや、あなたが想定している「普通の人」は普通じゃないから。スーパーマンだから。みたいなことも多いし。

 

ここまで書いてみて(そっか。そういうコメントや記事を書く人は周囲に特別優秀な人が多い環境で生きているのかもしれないな)と思いました。「普通」のレベルが、私の考えてるレベルとは違うのかもしれない。だとすると的外れなのかな。でも、そういう場合だって「普通の人」への執着はなんの益もないですが。

 

*このあと、作品の感想ですが、思い切り展開や結末に言及してます*

 

読書日記なのに、作品から離れてしまった。作品自体は、少し期待はずれ。なによりも、主人公に「特別な才能」を持たせるのはやめて欲しかった。詩を書き出してすぐに才能を認められるって、現実にはほとんどないので、絵空事感が半端ない。人に認められなくても詩作を続けることが自分の支えになる、とかじゃダメだったのかな。平凡な日常をどう生きていくかを描いて欲しかった。恋人との出会いと別れも、ありがちというかあっけない。簡単に別れてしまうんだと残念でした。大好きだけれど相容れないところがある相手とどう付き合っていくか、その葛藤がもっと読みたかったです。「ダルダル星人」だらけの職場にすんなり転職するのも安直で、浅い印象を受けました。そういう環境に巡り会えるまでの紆余曲折とかはないのかな、と。とはいえ、これくらいの長さの作品できれいにまとめようとすると仕方ないのでしょう。もっと長いスパンで登場人物の人生を描いていくことができれば、また違ったものになったのかもしれません。

 

るきさん (ちくま文庫)

るきさん (ちくま文庫)

 

 

 特別な才能はなくても、ちょっと変わってると人から思われても、飄々と生きていく「るきさん」が好き。

 

女に

女に

 

 

「ダルちゃん」作品中の、恋人とのプライベートなことを発表するシーンで思い出したエピソード。佐野洋子谷川俊太郎から、昔あげたラブレターを雑誌に発表してもいいかと聞かれたらしい。「今度持ってくる」と答えると、谷川は「大丈夫。コピーとってるから」と言ったとか。ちょっと笑った。ちなみに私は発表してほしくない派。それは「知人に知れるから」とかいう問題ではなくて「大切なことは公表したくない」から。(誰も聞いてない)

 

誰も聞いてないついでに書くと、上記のエピソードや寺山修司が亡くなった時のエピソードをひいて、佐野洋子は「谷川には”情”がない」と書いてました(非難してたわけじゃないです)。昔、その話を何気なく夫にして「それは違う。親友の死が悲しくないわけない。悼み方が佐野と谷川で違うだけ」と、かなりの剣幕で反論されて驚きました。今は、夫の言い分もわかります。

 

ひばりのす―木下夕爾児童詩集

ひばりのす―木下夕爾児童詩集

 

「ひばりのす」という詩を思い出したので。自分が見つけた大切なものを、誰にも言わないでいる気持ち。

 

 * 追 記 ( 2018.10.21 ) *

 

 ひばりのす          木下夕爾

 

ひばりのす
みつけた
まだたれも知らない

あそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ

小さいたまごが
五つならんでる
まだたれにもいわない

 

 

 

 

 

 

「カメラを止めるな!」を見に行った日のこと(無駄に長い)

博多駅の中の映画館で見ました。

友人が、仕事が早めに終わるかも

っていうので

阪急の中をうろうろしてるね

といって、洋服などを見ていたら

今駅に着いたよ、とメールが来ました。

こういう時、若い人はLINEなのかな

と思ったり。

そういやLINEのアカウント

お互いに知らないな。

15時半くらいに友人が到着。

もうちょっと早かったら

15時過ぎの回が見られたね

いや、さすがにそこまで早くは

仕事が終わらんて

とか話しながら

ヨドバシカメラまで歩きました。

ダンゴムシのガチャガチャを

したかったらしい。

こんなにたくさん種類があるんだと

びっくりしたけど

ダンゴムシは無かったので

がっかりしてました。

 

映画は8時前にしか始まらないので

先に食事をしました。

普通のレストランだと

さっさと食べて時間があまるので

筑紫口のほうにある居酒屋さんへ。

ビールとシャンデガフを飲みながら

ホウレンソウにオムレツのせたのや

アボカドとトマトの揚げ出しを注文し

地鶏のスライスを焼きながら

どれもインスタ映えしそうだねえと

言うだけで写真は撮りませんでした。

美味しかった。

 

カメラを止めるな!」は

友人と一緒に見るのに最適な映画。

内容も時間も、ちょうど良い感じ。

もうネタバラシしてもいいのかな。

「これは俺の作品なんだよ!!」

「こんなところに斧が。ついてるわ」

「ポンッ!」

「お願い! 目を覚まして!」

いろいろ印象深い。

10代の頃、映画を撮るクラブに

入っていた友人は、どう思ったかな。

まったく予備知識なしだったそうで

うらやましい。

 

終わったら、9時過ぎ。

コーヒーでも飲んで帰るか。

でも、どこもかしこも閉まっていて

まあ、遅くなると明日もきついし

ということで、あっさりと

じゃあね、と別れました。

  

少し贅沢して、500円出して

特急に乗って帰宅。

お風呂に入って、髪を乾かして、寝る。

この日は、よく眠れました。

ゾンビの夢は見ませんでした。

 

水鏡綺譚

水鏡綺譚

 

 

この本の中に、ゾンビっぽい話があった気がしたので、家中の本棚を探したのに、どこにもない。悲しい。また買うか⁉︎

 

 

友人が探していたガチャガチャはこれです。なぜ、このようなものが欲しいのか。理解不能。(追記:リンク先、どっちもメチャクチャ高いです。こんなん買う人いないと思うけど。友人はその後、普通に、多分、適正価格で入手してました。)

 

大学でサークルに入ったら「来月**荘で中間総括やるから参加してね」と言われた話

吉田寮の話とか読んでてふと思い出したので。ただの思い出話。

 

大学生の頃、寮で知り合った子から「施設の子供と遊ぶサークルに入ってるんだけど来ない?」と誘われました。行ってみたら、数校で構成されているインカレで、かかわる施設ごとにサークル内グループがあることがわかりました。

 

いくつか見学してみた結果、そのうちの一つのグループに入りました。週一で施設を訪問して子供と一緒に遊ぶのがメインの活動。他の日は、遊びの内容を考えたり準備をしたり。福祉関係の話題について、毎回テーマを決めてディベートをする「学習会」という活動もありました。

 

子供たちは可愛いし、他大学生とも交流できるし、週に三日ほどの活動なのできつくもなく楽しかったです。しかし、まもなく、見出しに書いたようなことを言われて(え? これまずくない?)と思いました。「総括」とかって「あさま山荘」関連でしか聞いたことがない言葉です。でも興味があって行ってみました。

 

結論から言うと、単なる新歓コンパでした。もともとは「往年の学生運動が社会の実態から乖離したところで理論ばかり追ったことへの反省」から作られたサークルだったそうで、言葉が残っていただけのようです。ほっとしました。

 

正直いって、サークルメンバーは、少しは社会的な問題も考えたほうがいいんじゃないか、というレベルのノンポリ(死語ですね)な人ばかりでした。私を誘ってくれた子は、図書館の閲覧コーナーで新聞を立ち読みしている私をみとがめて「女の子がそんなことして恥ずかしくないの?」と言ったくらい。保守的でびっくりしました。学習会の時にも「保育園はかわいそうな子が行くところ。教育機関である幼稚園とは違う」とか言ってたっけ。

 

就活のシーズンになって、「やべえ、俺、こんなサークル入るんじゃなかったわ。学生運動に関係あるとか知らんかった。就活不利じゃん」とこぼしていた男子は銀行に就職したし、私も無事公務員になりました。保育園がかわいそうと言っていた女子は大手企業に入社。教員になった人も複数います。あまり就活には響かなかったです。というか、入庁してみて年配の人には学生運動崩れ?がけっこう多い気がしました。やっぱり、当時の民間企業には行けなかった、行かなかった人が多いのかな。

 

最近、大学から送られてきた同窓会報に私がいたサークルが載っていましたが「社会奉仕活動をする学生達」という感じの好意的な扱いになってました。私は、このサークル体験があったおかげで「知らない世界へ一歩踏み出す」のが怖くなくなりました。その後も、断続的に細々ながら、なんらかのボランティア活動を続けてます。

 

だるまちゃんとてんぐちゃん

だるまちゃんとてんぐちゃん

 

 かこさとしさんの絵本。友人が、「古い絵本なのに孫が大好きなの。だるまもてんぐも馴染みがないと思うんだけど。不思議」といってました。かこさとしさんが絵本の世界に入られたのは、若い頃のセツルメント運動がきっかけだったようです。

www.kaiseisha.co.jp

 

かこさとし公式サイトは下記よりどうぞ。

http://kakosatoshi.jp/

 

 

 

昨日は栗ご飯と沢煮椀で元気を出した

午前中に栗をむいておいて、午後から病院へ行ってきた。ちょうど看護婦さんが来てなにか処置をする様子だったので、着替えなど頼まれていたものを舅に渡して、すぐに退出した。

 

せっかく外に出たんだから買い物をして帰ろうと、近くのショッピングセンターに寄って、靴下を買ったり洋服を見て回ったりした。最後に昨日の日記に書いた「汁ものレシピ集」に載っていた「沢煮椀」の材料を買い揃えた。

 

さて、帰ろうかと思ったら車の鍵がない。あわててバッグの中身をさぐってみたがどこにも見当たらない。寄ったテナントに聞いて回り、最後はサービスカウンターでも問い合わせたが届いていなかった。

 

(まあ、私にはよくあることじゃないか)と必死で平常心を保とうとしながら近くのバス停に向かった。とにかくいったん家に帰ってスペアキーを取ってこないと。バスに乗っている間、気持ちが沈んだが(すぐにバスが来るなんてついてる。ショッピングセンターに戻ったら鍵が届いているかも)と自分に言い聞かせた。

 

帰宅して、品物を保冷バッグから出して冷蔵庫に入れていると、外ポケットから、ころんと鍵が出てきた。ほんっっと、ばっかだな〜。荷物を全部出して確かめようかと迷ったものの、人目が気になり、小さなトートバッグはひっくり返して見たけれど、保冷バッグは中に手を突っ込んで探しただけだった。どこか片隅で全部出してひっくり返していれば見つかったはず。私のことだから絶対落としたんだ、という自分への信頼のなさが裏目にでてしまった。

 

(いやいや、でも落としてなくて良かったよ。ほんと、ついてたなあ)とまた自分に言い聞かせる。まずは夕食を作ってから戻ろう。栗ごはんを炊き、沢煮椀の材料を切る。ひたすら料理に集中して作り、出来上がったら隣の姑のところへおすそわけした。

 

台所を片付け、バスの時間を確かめてからバス停へ向かっていたら、あと少しで着くぞという時に、バスが通り過ぎるのが見えた。時刻表の平日と土日版の見間違えで、次のバスは30分後。さすがに足を引きずるようにしてJRの駅へ向かった。最寄駅で乗り換えてバスに乗るしかないな。夫のほうが先に帰るかもしれないので、事情を説明するメールを送信した。

 

折り返し夫から電話があり「ちょうど家に着いたとこ。今から父さんの車で送ってあげる。そうじゃないと時間かかるでしょ」とのこと。申しわけないけどお願いして車を取ってきた。

 

情けないことだが、私にとってはよくあるレベルのトラブルだ。栗ご飯と沢煮椀が上手にできたし、鍵はなくなってなかったし、夫は優しかったし、今日はよい一日でした。

 

*沢煮椀について*

レシピ集には「本来は漁夫が沖にでる時、塩漬けの肉と野菜を持っていき、汁に仕立てたことからでたとも云われる」と書いてありました。豚肉と野菜、きのこを油で炒め、出汁を加えて煮たものです。レシピ通りに材料のすべてを千切りにしてネギを散らしたら(レシピでは絹さや)、上品な雰囲気に仕上がりました。白味魚でハモ、こち、はぜなどを使っても美味しいとのこと。

 

おっとおとしもの

おっとおとしもの

 

 子供が小さい頃は、五味太郎さんの絵本をたくさん読んだなあ。

 

小さなレシピ集

小さな「汁物レシピ」を大切に持っている。ハガキ大の紙にプリントされたレシピが、ポケットファイルに一枚ずつ丁寧に整理されたものだ。

 

f:id:grisella:20180927070240j:image

 

婦人之友」社の協力団体である「全国友の会」のつどいの一つで配られたものらしい。月例で開催される「読書会」の昼食時に皆で食べた汁物のレシピだと冒頭に書いてある。二十人分の材料になっているので、それくらいの人数が毎月集まっていたのだろうか。

 

どのレシピもおいしそうで、疲れた時に眺めるだけで癒される。毎月、気心の知れた人が集まって、賛美歌を歌い、読書を楽しみ、手作りの食事を共にしていたのだと思うと、なにかほっとした気持ちになる。

 

分量を数分の一にして、あさりのチャウダーを作ったら、本当においしかった。まだ実際に作ったレシピは少ししかない。今、数えて見たら全部で四十七のレシピがあった。来月の四日まではコールセンターでの仕事も休みなので、どれか一つ二つは作ってみようと思う。

 

www.fujinnotomo.co.jp

婦人之友」は羽仁もと子が創刊した雑誌です。今も現役で本屋に並んでいるので、根強いファンがいるのだろうなと思います。協力団体の「全国友の会」は、いつだったか「災害で大活躍のスーパー主婦集団」としてテレビで取り上げられていたのを覚えています。

 

婦人之友 2018年10月号 [雑誌]

婦人之友 2018年10月号 [雑誌]

 

 「暮らしの手帖」をもっと質実剛健にした感じの小さなサイズの冊子です。

朝から涙を流したけれど持ち直した昨日のこと

朝、いつもより早く目が覚めた。なにか不愉快な夢を見た記憶がある。その時は覚えていたが今はもう忘れた。その夢のせいか、なんとなく悲しい気分を引きずったまま、朝食の準備を始めた。味噌汁を作り終えて、今日は調子が悪いし弁当作りは休みにしようと決めて椅子に座ると、わけもなく…というか…わけがありすぎて涙が流れてしまった。

 

来春、息子が転学するので年内に引越先を探す必要がある、舅が入院して来月は手術、一人になった姑の様子に気をつけないと、コールセンター以外の収入源も見つけなくちゃお金が足りない、といった具合で、タスクが多すぎていっぱいいっぱいになったのだろう。

 

「え? どうした?」と驚く夫には「ここ数日、忙しく働いてて、昨日でそれが終わってほっとしたのかも」と答え、つとめて普通に雑談をしていたら涙は止まった。

 

そのあとは、中学で絵本を読み、妹と病院へ行く時間を打ち合わせ、洗濯などして昼食をとり、その後、姑を車に乗せて病院へ。帰ってきてからは録画していた海外ミステリを見ながら洗濯物を片付けたり細々した用事を済ませていたら夕方になった。夕食を作って姑のところへ持っていき、夜はまた家事。いつもより少し早い10時過ぎに寝た。

 

今、一番の心配事は息子のことだ。調子を崩し留年しながらも執念で進んだ希望学部に見切りをつけて、全く関連もない文系学部へ転学することを決めた。「集中力が続かなくて無理だと思った」と言ってたけれど、どれだけ無念だったろう。そして、そういう状態になってしまった一因は、私にもあると思うと泣けてしまう。

 

あと数年で夫は定年だ。それ以降は金銭的援助は難しいと伝えている。「自分の道を好きなように生きていってほしい」と願い、できる限りのことはしてきたつもりだが、「できる限りのこと」がどんどんなくなっていく。役に立ちそうなアドバイスをする力も私にはない。なんとか自分で生き抜くだけの力をつけてくれれば。そう願うだけだ。

 

週末は、コールセンターの仕事が急募されたので、それに応じて出勤した。家から離れて暮らしている息子や娘に、私ができることはお金を稼ぐことくらいなので、一生懸命働くしかない。その仕事も来月の初旬までは休みだ。その間は無収入。ぼんやりしていると、自分が生きている意味がわからなくなってしまう。まあ生きていることに意味なんてないんだけど。

 

自己憐憫には何の意味もない。良いことは一つもない。目の前のタスクを少しずつ片付けながら、ほんの少し遠くを見て、なにか希望を探すことだ。それはほんの些細なことでいい。今日の料理が美味しくできたことでも良いし、入院している舅が案外と元気で過ごしていることでも、何でも良い。夜、帰宅した夫と、なんでもない会話をかわしながら気持ちをなだめていく。そして眠る。おやすみなさい。こうやってまた一日が終わっていく。

 

まさ夢いちじく (The Best 村上春樹の翻訳絵本集)
 

中学ではこの本を読んできました。話自体はシュールで好き。中学生なら大丈夫だと思うけど、幼いとおちがわかりづらいかも。村上春樹の訳が登場人物の名前を「犬/マルセル」「歯医者/ビボッド」と使い分けているのも分かりづらさの原因のような気がします。

 

読後、読書教育担当?の先生から、今後改善していきたい点の話がありました。隅のほうの子に絵本が見えにくいので机をさげて座るなり机を少し寄せるなりした方がいいと思うので次回から考えますとのことでした。それ自体は良いとして「できるだけ効果があがるように考えたい」と言われてとまどってしまいました。忙しい中学生にとって朝の10分は貴重な自由時間です。その時間を奪って絵本を読んでいることに罪悪感すらあります。学校の要望で続けているけれど。そのうえ「教育的効果」とか言われると(ぼんやりする時間、何の成果も求められない時間も大切にしてあげてほしい)と思ってしまいました。

いつも彼らはどこかに(小川洋子)*読書日記8

小川洋子には、デヴィッド・リンチっぽさを感じてしまう。嫌いではないけれど体調が悪い時には読まないようにしています。

 

この作品は、表紙のかわいらしさに惹かれて買いました。八つの話が収録された短編集で、どの作品にも動物が出てくるとのこと。帯に「無力で内気で賢明な彼らのための物語」と筆者の言葉が書かれています。ずっと積んだままでしたが、台所のテーブルに置いて、手が空いた時に少しずつ読んで読了しました。

 

私は冒頭の「帯同馬」が一番好きでした。試食販売の仕事をする女性と、食べるばかりで買わないおばさんの話。ディテールが緻密で、二人の性格や行動が自然に思えてしまう。けっこう変な話なのに。結末も余韻があってよかったです。

 

他に好きだったのは「ビーバーの小枝」「目隠しされた小鷺」「チーター準備中」の三つ。「ハモニカ兎」は途中までは良い感じだったのに結末が(そりゃないでしょ)と思いました。「愛犬ベネディクト」「断食蝸牛」は設定やストーリーがつまらなかった。前者は現実寄り、後者はファンタジー寄りの話ですが、こじんまりまとめた感が強かったです。展開を工夫するか、独特な世界を緻密に描くことに専念するかしたほうがおもしろかったのでは。

 

最後の「竜の子幼稚園」は、小川洋子らしい不思議な話で、テイストは好きなんですが、肝心の「身代わりガラス」がいまいちイメージできなくて物語の世界に入れなかったのが残念です。

 

帯には「この世界が素晴らしいのは 動物たちがいるからーー震えるような感動を呼び起こす連作小説」とありますが、八つの作品は独立していて、直接的なつながりはありません。正直、「震えるような感動」はなかったです。ただ、どの作品にも、欠けたものを愛おしむ、かなしみのようなものを感じました。

 

 

いつも彼らはどこかに (新潮文庫)

いつも彼らはどこかに (新潮文庫)

 

 単行本の書影はでてきませんでした。手元の本を確かめると

 装画D[di:」

 http://deeth.net

と買いてありました。