元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

実家の母と寿司を食べてきました。

美味しくて庶民的なこちらのお店です。

 

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なぜか、どのメニューにも「ミニうどん」がセットで付いてきます。以前、夫が「ステーキ御膳」頼んだら、それにも付いてきてシュールでした。お吸い物や味噌汁、そばにも変更できるので、今回、私達はお吸い物に変えてもらいました。

 

実家からは少し離れている店なので、行き帰りの車の中で、帰ってから実家で、色々なことを母と話しました。母は父の両親との完全同居、私は夫の両親との隣居なので、それぞれの愚痴もけっこう披露し合いました。実のところ、母には無意識のうちにストレスのはけ口にされていたよなあという思いもあります。でも、自分自身が母と似た境遇で生きて来た今は、そうするより仕方なかったのだと思えます。「母みたいに子供にあたらないぞ」と思ってがんばったあげく、自分が潰れてしまったもんな、私。私と母と、どっちが母親としてましなのかわからないです。人生ってうまくいかない。

 

学年のマドンナだった母は、おばあちゃんになってもモテるようで、元同級生のおじいちゃんに求婚された話も聞きました。「お金には不自由させないって言われたから『私、お金には困ってません。夫がしっかり働いて十分残してくれてますから』っていってやった」というので(あいかわらず見栄っ張りだな)と苦笑しました。亡くなってしまうと悪いことは忘れてしまうのか、「お父さんは心が綺麗な人だった」「人のことを貶めるようなことはけっしてしなかった」「若い時の私を思うと、あの時の自分はかわいそうだったと思うことはあるけれど、お父さんと結婚して不幸せだったとは思わない」と言い切っていました。

 

母の一人暮らしも、三年目になりました。庭仕事をしたり、祖母の施設を週一で訪ねたり、コーラスや水彩画のグループに入って活動したり、同級生や会社の元同僚と食事をしたり、と日々忙しく楽しく暮らしているようです。どうかいつまでも元気で居てほしいです。母のように活動的なおばあちゃんにはなれそうもありませんが、私も元気を出して日々暮らしていこうと思いました。

 

新装版 あ・うん (文春文庫)

新装版 あ・うん (文春文庫)

 

 母が留守中、タンスの上にお金を置いていたら、祖父からくすねられたことがあったそうです。祖母が祖父を問い詰めたら「あんなとこに置いとくほうが悪い」と言われたとか。...... 私んち、思った以上に「底辺」だった。父は、母や母の家の明るさ、文化的な雰囲気に憧れていた面があったのだろうなと思いました。なんか『あ・うん』を思い出してしまった。たしか舅が山師でお金を使い込む場面がありました。

シフト連絡を忘れられていたのかな

先日ショッピングセンターで働いた帰り際、職場のチーフに「来週のシフトはどうなっているんでしょうか?」と聞くと、担当がいなくて分からないから後で連絡すると言われました。しかし、そのまま何の連絡もありませんでした。その後、日を置いて電話したら同じこと言われて「連絡するように言ってたんだけど」「では、そちらからの連絡をお待ちしてよろしいですか」「はい」

 

それで、結局、連絡はきませんでした。再度電話をかける勇気はなかったです。かなり凹んだ。もたもたしたおばちゃんに来られても邪魔ってことかな〜って。でもそれならはっきり言って欲しい、こっちの都合だってあるのに。夫にぐずぐず言っていたら「連休中に人手が足りなくなる可能性があるから、とりあえずキープされてるんでしょ。年齢やスキル、勤務可能時間から言って優先順位が下になるのは当たり前で、凹む必要ない。連休前に突然連絡あるんじゃないの」と言われました。そう言われても......落ち込む。

 

ゴールデンウィーク直前になっても連絡は来ず、ようやく吹っ切れました。夫の言葉も(そりゃそうだ)と受け止められるようになって、週末をゆったりと過ごしていた時、突然電話が。「あの〜......私さんってシフト聞いてないですよね?」「はい。聞いてないですが」「あ、そうですよね。ええっと...... 来週って出られますか?」

 

というわけで、今週4日勤務することになりました。これってシフト連絡を忘れられてたっぽくないですか? 「あの短期の人、突然休むとかありえないよね」「なんかやる気ありげだったけどなあ」「忙しいから雇ってんのに、ほんと迷惑」みたいな会話を妄想する私。もう一度しつこく電話したほうがよかったのかなあ。今日の昼から出勤ですが、すごい不安。何事もなく過ごせることを祈ってます。

 

......と、ここまでが昨日の話。昼から行って働いてきました。 もたもたしながらも特にミスはやらかさなかった......と思う。今日も今から働いてきます。がんばります!!

 

幼い私にとって父の郷里は別世界だった

私は祖父母にとって初孫だったので猫可愛がりされていた。まだヨチヨチ歩きの頃からあちこちに連れて行ってもらった。私は北九州市の新興住宅地で育ったが、父の郷里は県南部の田舎だ。毎年、祖母は盆参りのため郷里へ行っていたが、私を伴うことも多かった。

 

幼い私にとっては大旅行だ。まずは自宅から黒崎まで電車に乗る。黒崎から博多までは汽車だ。(実際は電車だが古い北九州民は筑豊電鉄西鉄を電車、国鉄は汽車と呼んでいた)窓の外を見ていると工場やビルが過ぎていき、そのうち住宅地、そして遠賀川が見えてくる。河川敷に放牧されている牛を見るのが楽しみだった。そこを過ぎるとあとは山と田んぼと畑が続く。結婚後、夫に「北九州と福岡の間には牛しかいないと思っていた」といったら「失礼すぎる」と顰蹙をかったが、まだ小さな子供だったので大目に見て欲しい。単調な風景に飽きて眠ってしまい「もう博多に着くよ」と起こされるのが常だった。

 

その次の記憶は、西鉄福岡駅だ。博多からどうやって天神に出ていたのか記憶にない。父の郷里まで国鉄も通っていたはずだが、なぜ乗り換えていたのだろう。西鉄福岡駅は、線路が建物の中まで引き込まれているのが珍しかった。カマボコ屋根というのか曲線になった天井が外国みたいで好きだった。たしか岩田屋デパートに直結していたと思う。このあとは延々と電車。ここまで来ると私は疲れ果てて道中ほとんど眠っていたので、この間の記憶は残っていない。最寄駅に着いてタクシーに乗り「ミヤンマエまでお願いします」と祖母が告げると、お宮の前にある酒屋、祖母の実家に着く。(おうちの名前をいうだけで着くなんてすごい)と思っていたし、大きくなっても「ミヤンマエ」は祖母方の家号か通称だと思い込んでいたが、今考えると「宮の前」という地名だったのかもしれない。

 

ミヤンマエには私より二つ三つ大きな女の子がいて、大人たちに引き合わされたあとは二人取り残された。「上にあがってみる?」と言うのでうなずくと、急な階段に案内され、のぼると天井の低い畳敷きの部屋があった。子供の背丈でもぎりぎり立てるくらいの高さで(ここは何のための部屋なのだろう?)と不思議だった。窓から外を覗いたり、他愛ない話をしたりしたが、すぐに飽きてしまい、お宮に向かった。頭が痛くなるような声でセミが鳴いていて、何もしないのに木からぼとぼと落ちてきた。男の子たちが何人か「お前、どっから来たとか」とわいわい言うので立ちすくんでいると、親戚の女の子が仁王立ちになって「この子は北九州から来たとよ! あたしの親戚やけん、なんかしたらしょうちせんよ」と言ってくれた。

 

そうこうするうちに祖母の盆参りが終わり、そこからは親戚中を引き回された。近くに何人も親戚が住んでいるのが不思議だったし、それぞれの家の作りや大きさが全然違うのもおもしろかった。私が住んでいたのは一区画が70〜100坪程度に区分けされた碁盤の目のような団地で、どの家も似たような感じだったから。

 

いつも祖母の妹の家に泊めてもらっていたが、ここが昨日書いたコンクリート造の大きな家だ。小さな女の子を喜ばせようと、男の子二人がバドミントンをしたり本を見せたりしてくれても、引っ込み思案な私はなかなかうちとけることができなかった。家の周りには水路が引かれていて、小さなカニや魚がいるのが見えた。網とバケツを貸してもらって魚やタニシをすくっては戻した。水路のそばにネムノキがあって花がきれいだったのを覚えている。

 

珍しい経験をさせてやろうという思いだろうか、共同風呂に連れていかれたこともある。コンクリートでできたお風呂で、隅っこに生えた苔が電灯の光できらきらして見えた。帰り道「ほら、星が綺麗かろうが。北九州ではこげん星は見えんやろう」と言われて見上げると、本当に降るような星空でびっくりした。あまりに強い印象を受けたからか、この夜のことはその後何度も夢にみた。

 

久留米絣の工場に連れて行ってもらったこともある。行ってみると大きなプレハブ小屋で、私がイメージする「工場」とは違うと思った。暑いからかうるさいからか、戸や窓が開け放たれて外の風が入ってくる中、機械がカタンカタンと大きな音を立てていた。目の前すぐをピンと張られた糸がするすると動いていくので、触ってみたくてうずうずした。

 

履きなれないワンストラップのよそいき靴のせいで靴擦れができた時には、大きな商店街で新しい靴を買ってもらった。あれは久留米だったのか大牟田だったのか。黒崎や小倉とはまた違った雰囲気の大きな繁華街。道路沿い一直線に、どこまでも店が並んでいた。日が暮れていく中、遠くまで続く街灯がきれいだった。

 

昨日「田舎では文化や教育に触れる機会が少ないのは事実」と書いたけれど、どこにいっても、そこ独自の文化はあるのだ。美術館や映画館の有無が文化の有無っていうわけではない。いや、あれは、そういう文脈の話ではないのだけど。父の郷里は私にとって別世界だった。当時はどちらかというと迷惑だった祖母との同行だが、あの小旅行は私にとって得難い経験だったと今は思う。

 

 

廃市/飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)

廃市/飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)

 

 

父の郷里からは少し離れていますが、筑後地方にある都市(たぶん)柳川を舞台にした作品です。福永武彦の原作が大林宣彦によって映画化されています。美人のお姉さん役に根岸季衣、その夫で妻の妹にも思いを寄せられる旧家の主人に峰岸徹という配役には、若干う〜ん......という気持ちになるのですが、古い歴史を持ちながら滅びゆく街という雰囲気はなかなか良くて好きです。しかしパッケージが怖すぎる。

一昨日のブログのことをまだ考えている

一昨日、「『底辺校』出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」を読んでブログを書いたんだけど、何度も書いちゃ消し書いちゃ消し...... 何をやってるんだろうというくらい考えてしまった。

 

今日、元記事のコメントを見ていたら、そのうちの一つが

 

tonishi0610.blogspot.jp

 

という記事に言及していた。こちらを読んだらなんとなく腑に落ちたけれど、元記事「『底辺校』出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」を書いた方は誇張しているわけでなく、そのように認識しているだけの可能性もあるのですね。そう思うのはピュア過ぎかな?

 

今日、上にリンクを貼った記事を書いた方は、たぶんとても優秀な方。皆がこの方のように積極的に動いて教育や文化に触れようとすることはできないと思う。田舎のほうが都会より文化や教育に触れる機会が少ないのは事実です。それは否定できない。

 

ただ、元記事のコメントを見ていたら、はてなの特性かもしれないけれど、田舎から出た人の同意コメントがすごく多くて、それはそれで偏っているなあと思いました。

 

うちの下の弟は高校卒業の時には自分の行きたい道が決まっていて「進学する気はない。就職したい」と主張したけれど、通っていた高校が進学校で成績も良かったため、教師から反対されたし「就職する子がいないから学校と企業のパイプなんてない」と言われました。母も大学進学を強く望んだため弟は進学しました。結果として彼は四年間楽しかったし行ってよかったとは言ってます。でも、弟が希望していた職は大卒未経験で雇ってくれるところがなく苦労したのも事実です。かなり回り道をしてようやくその職につけました。

 

学歴が関係ない生き方はたくさんあるし、それで幸せな人もいる。もちろん最初から選択が狭められるのは良くない。それは逆もしかりで、学歴が関係ない生き方を知らないのも不幸なんじゃないかなあと思います。

 
なんか書き殴りになった。でもこれでおしまい。さて家事に戻りますか。

自分の環境は一般的ではないのか

(一度下書きに戻した後に一部修正してアップしました。ブックマークつけていた方がいたようですが、消えてたら申し訳ありません。2018.4.26)

gendai.ismedia.jp

上記記事を否定するつもりは全然ない。地方に住み、東京の大学に行っている子供へ仕送りをする身としては共感するところが多々ある。田舎のそれほど豊かではない家庭で育ったことは、息子にとってハンディになっているだろうと悲しく思うことも多い。でも、ちょっと田舎の様子を誇張しすぎでは。自分の主張を強めるためにそういうことをやるのは逆効果で、個人が体験した事実そのままを淡々と書いてくれたほうが良いのにと思った。いや、事実ですよ、と言うのだったら、ごめんなさい。謝ります。

 

ネット上の記事を読んでいると「自分の立ち位置」というか「属性」がはっきりしている話が多くてとまどってしまう。例えば、上記の記事だと「貧富にかかわらず、人びとは教育や文化に触れることはできない」田舎で育ったというのが筆者の立ち位置。私自身、たぶん同じ程度に田舎な地域に住んでいる。けれど教育や文化に触れることができない人もいれば、そうではない人もいて、自分はどちらの人とも接する立場にいる。自分の立ち位置がよくわからない。そういえば、今までずっと、自分が常に周辺というか境界にいて、どこにも属せていないような気持ちで生きてきた。

 

私の親戚には、田舎の公立校や地方の中高一貫校から東大に行った人、大都市在住で東大へ行った人の双方がいるし、中卒、高卒の人もいる。職業も様々だ。経済力も様々。経済力が学歴に比例しているかというとそうでもない。また田舎の文化的資本が乏しいかといえば一概にそうともいえない。もちろん全体としてみればそうだろう。しかし、都会の貧乏人より田舎の金持ちのほうが文化的資本が豊かなこともある。身も蓋もないことをいえば、昔からの資産家はどこに住んでいようがハンディがないのでは。そういえば、大王製紙の御曹司が飛行機で東京の塾に通ったという話があったっけ。

 

「資産家」というほどではないが、例えば田舎の公立校(といっても県内有数の進学校だが)を出て東大に入った親戚の男性二人。家は専業農家だ。周囲は一面田んぼで、おじさんが「北海道に行かなくても地平線が見える」と自慢げに言っていた。住んでいるのはコンクリート造のモダンで大きな家。家の屋上で一緒にバドミントンをして遊んだのを覚えている。部屋には私が見たこともない本や玩具、教材がずらっと並んでいた。「子供の科学」を初めて読んだのはこの時だ。兄は東大卒業後に航空関係の仕事についた。弟は「俺は九大でいいや」といっていたが院は東大に進み、その後NASAに行ったと聞いた。

 

一方、中卒で炭鉱夫として働き、稼いだ金で電器店を開いた親戚もいた。その後、事業を拡張して不動産業など手広くやっていた。法事で家にくる度に「**ちゃん(=父)は神童と言われてて、すごいと思っていたが、今は俺も負けてないだろう?」というおじさんで、自慢話しかしないが開けっぴろげで憎めない人だった。

 

私の三親等以内の親戚の職業を挙げると、映像制作会社勤務、農家、新聞記者、会計事務所勤務、デザイナー、公務員、メーカーの技術者、タクシー運転手、銀行員、板前、などなど。従兄弟姉妹まで広げると、もっと多様になる。この多様性は、母方の祖父母が「結婚は本人どうしが決めるもの」という考えだったこと、私が生まれ育った場所と時代によると思う。全国から労働者が集まる街で育ったから。戦争で階層がなくなった(ように見えた)時代、いろいろな境遇の人が出会い親しくなれる時代に私が生きてきたから。

 

「親戚」に限って書いてきたが、学校、会社、近所での知り合いや友人など「私の周囲の人」に範囲を広げると、その生き方は本当に千差万別だ。自分の生きている世界のすぐそばには全く知らない世界が広がっていて、ふとした拍子にそのことに気がつく。それは普通のことだと思っていたが、実は一般的ではないのだろうか。私の環境は一般的ではない?

 

これからの時代はどうなっていくんだろう。「属性」がはっきりした話にとまどう私だが、それは階層の分断が進んでいる証拠なのだろうか。そうならないことを祈っている。今よりも、多くの人が多様な選択肢を持てる時代になって欲しいと願う。

 

リカちゃん ドリームハウス エレベーターのある あこがれのおうち

リカちゃん ドリームハウス エレベーターのある あこがれのおうち

 
リカちゃん リカちゃんハウス ドレスルーム

リカちゃん リカちゃんハウス ドレスルーム

 

 

地平線の見える田園地帯は、父の郷里です。祖母に連れられて夏休みなどによく遊びに行きました。同じ年頃の女の子がリカちゃん人形がぎゅうぎゅうに詰め込まれたリカちゃんハウスを両手に一つずつ持って「遊ぼう!」って現れたことがあったっけ。幼い私は「すごいお金持ちのお嬢様だ〜」と思いました。

朝の小さな攻防

私の朝は忙しい。6時起床。顔を洗って着替えて、麦茶を沸かし、みそ汁と弁当のおかずを作る。7時には家を出て夫を駅まで送っていく。もうバタバタもいいとこ。もう少し早く起きれば済む話だけれど、私が起きると夫も目がさめるらしく、睡眠時間が減るのは嫌だとのこと。そういう状況なので「おかずを詰めた弁当にふたをしてハンカチで包むのと、お茶をペットボトルに入れること」だけはやってね、と言っているのだが......これがルーティンになるまでにはかなりの時間がかかった。

 

最初は、時間ぎりぎりになってもやらない夫に(このままじゃ間に合わない)と思って私がやってしまった。意外となんとかやれてしまうのだ。でも、そうすると、ゆっくりのんびりくつろいでいる彼にイライラしてしまう。朝から機嫌悪くなりたくないのでなんとか一つくらい作業をしてもらいたい。絶対にやってもらうぞと心に決めた。

 

その次は「そろそろやらないと間に合わないよ」と声をかけるようにした。すると大判のハンカチってどれだっけ? と聞いてきたり、狭い台所の作業スペースをうろうろしてペットボトルを選んだりするので、なにかと手助けすることになり、かえってめんどくさい。黙って見守っていると「ごめん。時間なくなった。お願い」となってしまう。

 

お願いされる余裕を見せなければ良いんだということで、流しの洗い物をしたり布団をあげたり常に作業をすることで隙を作らないようにする、テーブルの上にやかんとペットボトルを用意する、ハンカチをリビングの目につくところに置くようにする......以上の準備によって、ようやく「おかずを詰めた弁当にふたをしてハンカチで包むのと、お茶をペットボトルに入れること」という作業が夫のルーティンになった。今では自分で引き出しからハンカチを出してくるし、テーブルに準備できていなくても自分でやっている。

 

とまあ、たった一つの作業が定着するまでにも、かなりの手間がかかるわけです。結構疲れる。

 

 

私はペットボトルを再利用するのになかなか慣れなかったです。そういう習慣がなかったので。不衛生な感じするし。水筒は重いから嫌だそうです。まあそれはわかる。結果として、新しいボトルを入手したいがためにペットボトル飲料を購入する頻度が増えている私。それでもって「家で沸かして持っていけば良いのに」と夫に言われる。なんか納得できない。

 

 

 

ショッピングセンターで働いてきました。

 

 

一昨日、昨日と二日続けて働いてきました。スタッフ全員が、すごく手早くてびっくりしました。慣れたらできるよと言われたけど無理な気がする。短期バイトなので辞める時のほうが先にきそうです。1日目は特にミスはしなかったけど2日目はちょいちょいやらかしました。全然とがめられず「初めてだから仕方ないよ、全然大丈夫」と皆さん優しくて、こっちもびっくりしました。もっと殺伐とした雰囲気かと思ってたので。

 

初日は、夜にコールセンターの仕事も入っていたので疲れました。家事の段取りとかも考えないといけなかったし。そのせいで2日目は集中力を欠いたんだと思います。今日を休みにしておいて良かったです。来週以降は無理のない範囲でやれそうなのでがんばります。といっても現時点でまだシフトがわかっていません。「もう結構です」って言われたらどうしようとか少し不安です。

 

昨日は昼休みが13時からだったので「お腹すいたでしょ?」と聞かれましたが、そうでもなかったです。食品関連の部署なので、ずっと美味しそうな匂いがしていたからかなあ。帰りに車を運転していても自分の体からいい匂いがしていました。

 

ぐるんぱのようちえん

ぐるんぱのようちえん

 

 

ぐるんぱは汚くて臭いひとりぼっちの象です。さびしくて泣いてばかり。ジャングルのみんなは会議を開き、ぐるんぱを働きに出すことに決めます。みんなに洗われて、みちがえるほど綺麗で立派になって、さあ出発。でも、どこへいっても失敗ばかり。すぐに「もうけっこう」と首になってしまいます。そのたびに「しょんぼり しょんぼり」するぐるんぱですが......。最後のハッピーエンドがうれしいロングセラー絵本です。

 

私が「スーパーの仕事決まったけど勤まるかなあ」というと、夫が「”もうけっこう”って言われたら悲しいね」と言いました。そりゃ悲しすぎるよ。